|
先日、横須賀市富士見町の富士見公園にある無縁墓地の第24回慰霊祭が行われた。これは地元町内会の主催によるもので、毎年5月14日であるが、近年はそれに近い日曜日に行われているものだそうです。今年は雨天のため町内会館で実施。会場では僧侶による読経、出席者は順に線香を立て、拝む。横須賀市と横須賀市議会による生花が1基ずつ。出席者の大半が喪服を着て、香典を持参する人もいる。 <あまり、お墓や石碑っぽいものは撮りたくないのだけれど、静かな住宅地の中の小さな公園に、台座を含めると身の丈ほどもあるお地蔵さんが花を添えられ、赤い衣をつけて置かれています> <その横にも『忍』と書いた墓石のようなものや、名前が刻まれているお墓?が3,4基ありました。花立てには○印の中に富という字が書いてあります。何のマークなのでしょうか> 富士見公園の「忍塚」の説明には「この塚は慶応元年(1865年)から始まった横須賀製鉄所の創設工事における犠牲者及び行路病死者の鎮魂碑です」と書かれているが、犠牲者の具体的な名前や人数・理由などは書かれていませんでした。 その後、インターネットで調べていたら、最初神奈川新聞に連載が掲載され、のちに「ヨコスカ開国物語」として本が出版された著者の歴史研究家 山本詔一さんの記事に参考になるものがあったので、許可を得て掲載させていただきます。−ありがとうございます− 38 埋め立て工事 人材は人足寄場から 製鉄所の建設の責任者たちが考えたのは、安価な労働賃金で働いてくれる人材の確保であった。彼らがこの人材をどこに求めたのかと言えば、江戸の石川島にあった人足寄場であった。人足寄場とは、無宿人や刑期が終了しても身元引受人がいない者を収容した施設であった。そこの200人をあてにした。 元のページはこちら:http://www.d5.dion.ne.jp/~ikeyoko/M-KAIKO-2.htm このことから、無縁墓地には人足寄場から来た方が祀られているのではないかと思われます。 地元の方に聞いてみたら、ここにお骨があるかどうかわからない、横須賀にはあちこちにこういったものがあるのではないかとのことでした。 自分なりにインターネットで調べてみたところ、確かに関東大震災の犠牲者や戦争に関わって亡くなった人(朝鮮半島より強制連行されて過酷な労働を強いられ亡くなった方も)の慰霊碑があちこちにあることがわかりました。確かに一度は見かけたことがあるものばかりでした。しかし、それはお寺の一角やもっと公の公園にあるものばかりです。 ここは横須賀製鉄所があった場所(米海軍横須賀基地周辺)とは少し離れているし、なぜここに?と不思議な気がします。この近くに住んでいた方とか、そういうことなのでしょうか。ひっそりと人気のない公園の中の無縁塔は、時代から取り残されているようにも見えます。 それにしても横須賀製鉄所は江戸幕府から明治政府へ引き継がれ、民間への払い下げはされなかったのなら、近所の方が慰霊祭やるのは結構なことだけれど、国の仕事をしていて事故に遭ったわけだから、国が関与して管理はしないのだろうかとふと思いました。(政治にあまり頭を突っ込みたくないのでこの辺でやめときます) そして、なぜ5月14日なのか? この日が製鉄所建立の日か、何かの事故があって一度に人が亡くなったのだろうか・・・? インターネットの検索で目を引いたのは小栗上野介に関するこんな記述でした。 慶応4年4月22日( 1868年5月14日 )東山道先鋒総督府( 官軍 )は反逆の意図ありとのことで「小栗上野介追討令」を打ち出した。 で、結局彼は知行地(領地)の一つがあった群馬県高崎市倉渕村でこの月のうちに追い討ちをかけられて亡くなっています。 小栗上野介はフランス人技師ヴェルニーと共に製鉄所(のちの造船所、海軍工廠)の建設に携わったが、これとは何か関係があるのだろうか?私の祖先も長年横須賀に住んでいるゆえ、製鉄所に行っていた者がいるので気になります。 |
| << 前記事(2008/05/10) | トップへ | 後記事(2008/05/19)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
へー、そういうことがあったと言うか、そういうものが残っていてちゃんと鎮魂しているというのが凄いことですね。多分それなりに謂われがあるのだと思いますよ。調べれば面白いかも知れませんね。 |
ヒゲおやじ 2008/05/16 22:18 |
ヒゲおやじさん、普通に亡くなった方なら100年以上経っていれば誰も祀りはしないでしょうね。この、第24回というのもなぜ24年前からやり始めたのか気になるところです。UPしてから改めてお地蔵さんの台座のところを拡大して見てみたら、何か文字が彫ってあるようです。今度行く機会があったらよく見て来ます。 |
三浦あぼりじに 2008/05/17 17:42 |
先月の咸臨丸フェスティバルでご一緒した幕末ファンのまやこさんからメールをいただいて、小栗上野介の終焉の地の群馬県高崎市倉渕村は故郷ではなく、知行地(領地)の一つがあった場所だそうで、訂正させていただきます。情報ありがとうございました。<(_ _)> |
三浦あぼりじに 2008/05/17 17:47 |
| << 前記事(2008/05/10) | トップへ | 後記事(2008/05/19)>> |